2021.04.03
今日、衝撃的な知らせがきた。
空手のグループラインの先輩から群馬の宇田川師範代が引退したと・・・・・・
慌ててFacebookを覗いてみれば、そのような内容が掲載されていた。
私は思わずスマホを手に取り無意識のうち電話してしまった。
師範代、どういうことなんですか?
去年からそのような話はちょくちょくしていたようだ。
みんなに当たり前のように止められたが、いつまでも引っ張っていても同じことだからとケジメをつけたようだ。
男が決めたことだ、ダラダラとは聞きはしなかった。
ただただ残念だとしか・・・・・・
師範代との最初の出会いは中国大会に遠征に行った時だ。
群馬の庭野選手の付き添いで来ていたようだ。
茨城では私と桝田師範との二人きりだった。
桝田師範はさすがに私の付き添いなどではない。
組織の人間として出向くのだ。
私は初めて孤独な闘いをしかも海外ですることとなった。
そんな不安を抱えていた時に、声をかけられた。
「君が茨城の笹沼君か~」
顔を見た瞬間、庭野君の父兄の方なのかな~と思うくらいのフレンドリーな初対面だった。
しかもモロヤ〇ザ顔
庭野君とは去年の大会で準々決勝で当たっているので、初対面だがお互いなんとなくだが気心しれた。
その大会で決勝に上がった選手はワールドカップに出場できた。
そこでおしくも選考に外れた私たち二人に白羽の矢がたったようだ。
庭野君にそっと「あの人庭野君のお父さんなの?やっぱヤ〇ザやさんなの?」と聞いてみた。
すると庭野君が無邪気な笑顔で「違いますよ~群馬の師範代ですよ~」と返された。
ど~見てもヤ〇ザ顔にしか見えなかった。(上の写真見てもみんなもそー見えるでしょ)
しかし顔とは裏腹にすごい優しい方だった。
師範代だーなんて威厳を微塵も出さず、ただただ一人の先輩として接してくれた。
メル友になろうよとも言われた(笑)
当時、上の方からこの世界でそんなこと言われたことがなかったのでびっくりした。
そんな初めての出会いだった。
中華レストランで食事を終えた後。
ホテルのロビーで。
私は一回戦敗退だったが、庭野君はベスト4に。激闘の末、足を負傷してしまった。
彼も好青年だった。
松島代表と中国の支部長?
極真を支えた重鎮たちが亡くなられる年齢だ。
つい先日も東塾長が亡くなられた。
そうなると年齢的に宇田川師範代の引退もいたしかないことだ。
しかし正直、今だショックだ。
これを書きながら涙が止まらん。
男の引き際を教わった。
私もこの年齢になると、いつまで出来るのかとふと考えますと言った。
そうしたらこう返された。
「何を言ってる、まだまだだ。笹沼君は俺からしたらまだまだ若造だ」と。
Facebookにコメント送ったらこんな返信が・・・・・
そんな付き合いがあったわけじゃないけど、よく選手の稽古の話を電話で話した。
ここでは話せないようなことも話した。
また昔のような元気な時代に一緒に戻そうよって言われた。
こんな何にも力のない私をお世辞にも頼りにしてくれた。
これも松島代表と桝田師範の友情の縁なのかもしれません。
本当に極真を松島代表を仲間を弟子たちを群馬を、そして茨城を愛してくれた人だった。
宇田川師範代がいたからこそ、群馬と茨城はこんなに近い関係になれたのではないかと思う。
お疲れさまでした、そしてありがとうございました。
体に気を付けて残りの人生を謳歌してください。
そして私はあなたのようなジジィになりたいです。
押忍!