2023.08.22
急性前骨髄球性白血病を患い、彼が他界したのは2000年8月24日。
そう今年でアンデイ・フグの24回目の命日だ。
ちょうどアンディを知ったのは極真に入門する一年ぐらい前だ。
極真オタクのような先輩がアルバイトにいて、ビデオを何十本も貸してくれた。
なんか処分するかのように・・・・・
当時は正直仕方なく見た感があった。
全日本や世界大会のビデオだった。
第4回世界大会、そこにアンディは映っていた。
知ろうとしなくても、覚えてしまう。
素人目から見てもわかる。
強過ぎね・・・・・・・・
とにかくアンディが目立った。
ダークホース的存在だったアンディは外国人優勝候補のアデミール・ダ・コスタを退け、日本代表をことごとく寄せ付けないのだから。
当時は松井・増田・黒澤と三強時代と呼ばれていた増田章を準決勝で封じ込め、外国人初の決勝進出を許した。
松井章圭はマイケル・トンプソンとの5度にわたる延長戦の死闘後の決勝戦だったので、かなりきつかったことだろう。
しかも負ければ外国人に王座をもっていかれる。
相当なプレッシャーの中、松井章圭はアンディと戦っていたと思う。
破竹の勢いで勝ち上がってきたアンディも組手の天才の前には歯が立たなかった。
それでも外国人初世界大会準優勝という功績は素晴らしいことだ。
第5回は新鋭フランシスコ・フィリョに上段廻し蹴りを食らい、ノックアウトの末、敗退してしまった。
聞くところによると、前回大会準優勝だったアンディはかなりきつめのところに配置されたトーナメント表だったらしい。
いきなり190cm100㎏以上の選手にぶつけられたりと・・・・・・・
それでもなんとか4回戦まで進み、フランシスコ・フィリョと対戦するまでは駆け上がった。
それからは主戦場を正道会館に移し、新たな道を歩んだアンディはのちのKー1に出場する。