2023.08.30
前回のアンデイの続き・・・・・
極真から正道会館に移籍したアンディ。
極真では格闘家としては食べていけないのか、移籍してしまった。
まあアマチュアなので当然か・・・・・・
正道会館はプロなんだとその時知った。
空手がリングの上でやるなんて、ちょっと衝撃的だった。
当時は若かった私は、そんなことも考えず、ただただアマチュアイズムを貫く極真に妄信していた。
いやあんな極真のもつ厳格さが好きだった。
かかと落としが代名詞だったアンディ。
正道会館では一躍人気者に。
あれだけ華麗な足技をもった選手は当時の正道会館には見かけなかったのもあったのだろう。
まあ極真でも一大旋風を巻き起こしたからな~・・・・・・
一際、アンディの足技が目立って見えた。
正道会館の選手もみな戸惑っているようだった。
当時のエース佐竹選手もかなり苦戦したのではないだろうか。
1993年からは空手からキックボクシングに力を入れ始める。
のちのK-1初代王者ブランコ・シカティックに判定勝利とはいえ、大金星をあげる。
ここで手応えがあったと思いきや、K-1に正式参戦する。
しかしK-1GPは2年連続1回戦KO負けという苦渋をなめさせられる。
まだ本格的な顔面の防御や戦略が甘かったような感じが当時はうかがえた。
またボクサー色が強い選手にも苦手意識があった感だった。
やはりパンチ(突き)の打ち方やグローブのテクニックもまた違うからだろう。
しかし96年のGPには昨年2敗しているマイク・ベルナルドに、見事リベンジを果たし優勝した。
そこからは黒星も何度かあったが、前ほどの悲壮感はなく、安定したファイターになっていったんではないだろうか。
ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルドと共に創成期のK-1を四天王の一人として支えた。
K-1ファイターの中では決して大きくない体で、負けても負けても立ち上がる不屈の戦いぶりと、物静かで武道家らしい姿勢が日本人には受けたのか、人気が一気に上昇した。
「青い目のサムライ」などとも呼ばれていた。
そして2000年10月9日のK-1 WORLD GP 2000にて引退するとアンディは公言していた。
8月24日の夕方ごろに、あるニュースが舞い込んでくる。
忘れもしない当時私は飲食店に働いていたため、夕方5時頃は開店前の準備をしていた。
するとアルバイトの女の子があわてて駆け込んできた。
「アニキ、アニキ~大変だ~アンディが~~~~~」 (その子はなぜか私をアニキと呼んでいた)
アンディが危篤だと・・・・・・・
私が大のアンディのファンだというのは、仲の良い人ならみんな知っていた。
そのため、いの一番に知らせてくれたのだろう。
数日前、ちと調子悪いくらいのニュースはやっていた。
でも危篤って?そんなに悪かったの?なんで?
24日午後6時21分に永眠・・・・・・
私はその日一日ショックで、包丁捌きがおぼつかなかった。
空手でできるからと他の競技に自分の得意な技を使いこなすのは難しい。
ましてやキックルールであそこまで空手の技を使いこなせる選手はなかなかいないのではないだろうか。
自分のスタイルを最後まで貫き通したアンディは、素晴らしい選手だった。
アンディの私が好きなところは技だけではない。
負けても負けても這い上がってくる、ファイティングスピリッツだ。
そう極真魂だ。
死ぬまでアンディは空手家だった・・・・・・・押忍!