2024.06.19
【不公平な力と努力】
私は正直、何の才能もない。
だから何をやるにも努力してきた。
いや努力するしかなかった。
「努力しろよ、最後は頑張った奴が勝つんだ」
小さい頃からそういう教育を受けてきた。
勝負の世界やスポーツをやっていれば、誰かに一度ぐらい言われたことあるんではないだろうか。
そう私も親やコーチに似たような言葉を浴びせられて生きてきた。
まあ時代がそんな感じだったのではないだろうか。
とにかく私は何事においても人より劣りまくっていた。
努力するしかなかったのだ。
しかし努力だけではどうにもならないことも小学生ながら気づいていた。
私が生まれた年は世の中全体も景気が良く、両親の商売も上手くいっていたようだ。
私にはブランドの服しか着せたことがないと親は豪語していた。
そんな記憶、微塵もないのだが・・・・・・・
私が5歳の頃、平須に越してきて一軒家を購入した。
マイカーもありコリー犬などを飼い、私は一人っ子で自分の部屋がある。
一人っ子なのになぜか二段ベットで寝ていた。
その日の気分で上で寝たり下で寝たり。
今思うとなんとまあ贅沢な暮らしだったのだろうか。
周りを見渡してもスタートは良かったのかもしれない。
さぞかしリッチな暮らしをしていたのかもしれないが、4年後ぐらいになぜかまた引っ越した。
その2回目の引っ越しで笹沼家の転落が始まったような気がする。
平須に来て失敗したと父はいつも嘆いていた。
理由はなんだか忘れたが、だまされたとかなんとかだとか・・・・・・
笹沼家の財政は家の購入や売買でおかしくなったみたいだ。
引っ越した家だが、その場所はまるでお化けか殺人鬼が出てきそうな林の奥にある場所だった。
ここはホントに水戸なのか?と思えるほどだ。
なぜこんな場所に家を建てたんだとツッコミたかったが、父がもともと所有していた土地だったらしい。
2回目の引っ越しはいちから建てた家だったので、最初は新しく新鮮だった。
がやはり周りが林なのと資金が少なくて家の素材が悪いのか、やはり家自体も劣化が早くさらに不気味に感じが増してきた。
とにかく小学生の頃は夜になると家の周りが怖くて怖くて仕方なかった。
まあ今ではそのおかげで少々の暗闇には驚かなくなったが(笑)
なんか噂では家の後ろの林で昔首釣りで死んだ人がいたとか・・・・・・
ついた名称が「首吊り山」だ。
「首吊り山」というと私の家の場所が分かったほどで近所では以前から有名な場所だったようだ。
まあそんな首吊って死んだ人間より、私の下手くそなティーバッティングで山に放り込んだ硬球の球の数のほうが、たくさん埋まっている。
私が硬球の球に呪われてもおかしくはないほどだ(笑)
高校生の時、付き合ってた彼女もよくあんな不気味な家に遊び来ていたと今思えば関心する。
小学中学年あたりになると勉強やスポーツ、何かと競争などで評価されることが多くなってくる。
ホント私は何をやってもダメだった。
そう、よく言うドンくさいやつだった。
そのくせ鼻息は荒いものだから、時折イジメもくらった。
決していじめられっ子だったわけではない。
裏切られて嵌められたことがあったというような感じだ。
両親とも勉強はいまいちだが、運動神経は良かった。
なのに息子は運動会ではいつもビリ(笑)
イラッとした負けず嫌いな両親は私に無理やり自分の好きな野球をやらせた。
嫌で嫌で仕方なかったが、悪いことばかりではなかった。
短距離走など学年で5本の指に入るぐらい足が速くなった。
あと他の球技もまんべんなくこなせるようになった。
町内のソフトボール大会ではけっこう活躍した。
そりゃそうだ、8割がみなど素人だもん。
ここで見せ場がなければどうしようもない。
本業のリトルリーグだけは万年補欠だった。
あっでも最後はけっこういい思いもしたか。
レギュラーにもなれたし、他のチームの補強選手で選ばれたりもした。
なんだかんだ嫌で仕方なかった野球も今があるのは野球のおかげだということを実感している。
とにかく三流あたりの中ではちょっとは目立つぐらいにはなれた。
まあそんな野球も高校生になって本格的になった。
さすがに甲子園に行ったことのある高校だ。
ナイター設備や雨天練習場、バッティングマシンにノックマシン、あらゆるものが揃っていた。
中学生で遊びを覚えてしまった中途半端な、そしてなにより体力に劣る俺では当然ダメだった。
高校1年の夏、監督と揉めて野球部を辞め、ここで野球人生は終了した。
3年生になって、ついでに高校も辞めた。
なんだか10代は適当な生き方をしていた。
今もか(笑)
仕事はしていたが、なんか目標がなくただ生きるためにその日ぐらしの生活だった。
なんと就職までも父親に決められた。
高校を卒業していない奴はまともな会社では働けない。
職人しか生きる道はない。
職人(料理人)になれとこりゃまた父親の都合で料理の世界に押し込まれた。
まあプラプラと適当やっていた私を見かねていたからだろうが。
そしてこの世界も嫌で嫌で仕方なかった。
私は両親の飲食店の仕事を幼い時から見ていた。
まあいわゆる水商売だ。
理不尽な酔っ払い相手に頭を下げ、しまいにはケンカになる。
店も客もこの世界はみな鼻息が荒かった。
水商売に関わる大人はみな頭がおかしく見えた。
いやおかしかったのだ。
そんなお決まりなことを小さい時から見て育ったのだ。
だからそんな仕事がたまらなく嫌だった。
将来の仕事は銀行員とか公務員になると決めていた。
バリっとスーツを着たスマートな仕事をしたかった。
しかし大人になって現実を知るとそなことは夢物語だと分かったが・・・・・・
でも一時期は夢のスーツの仕事もした。
水商売で(笑)
人生を振り返ってみてよくわかった。
親と同じことしてるや~ん。
やっぱ蛙の子は蛙だと・・・・・・・・
なんか前置きが長くなった。
何が言いたいのか分からなくなってきた。
まあ最近ネタがないので続きは次回に引っ張りたい。