2023.02.08
必死。
今の時代には、あまり無縁の言葉なのか。
私は子供たちに楽しく優しく丁寧にがモットーな空手を念頭に置いているが、レベルや帯、学年が上がれば当然のごとく上の段階を要求する。
それが進歩へ、あたりまえのように繋がるからだ。
私の考えでは、正直強者などいらない。
強者はどこにいっても同じだからだ。
私の道場など来なくても、勝手に強くなっていくだろう。
だから最初は弱いなら弱いほうがいい。
その子の成長していくのが楽しみだからだ。
弱い子が強くなり、おとなしい子が勇ましくなる。
そんな成長過程がおもしろい。
そこを引き出せる状態が、その子がもった本気の気持ちそう必死さではないだろうか?
ある時、先輩とこんな話になった。
久々に試合にでた時に稽古した時よりも、思ったように手足が出なかったと。
ある世界大会に出場した経験のある選手が壮年になってから、地方大会に出たら防戦一方になっていたほどだ。
50代ぐらいになると、どんなに活躍していた選手でさえそのような状態に陥ってしまうのが分かる。
いくら若い頃、活躍していたからといって、普段欠かさずに稽古を積んでいたとしても、実践すなわち必死な状態には敵わないというのが私の持論だ。
そこにはやはり試合や実践に臨む者は、覚悟と決意、そう必死に稽古しているのだ。
うちの道場生もまだそのへんが分かってない子が多い。
仕方のないことだ。
本気に稽古して、本気でぶつかって勝利できた時は最高な気分になれる。
そんな必死さを泥臭くていいから、味わってほしい。
昭和的なノリかもしれんが、そこは令和になっても大事ことだと思う。
その先には本人しか分からない格別な瞬間が待っているはずだ。
さあ、若者よ(中年もね)必死になれ!