2023.04.04
いよいよ来週にIBKO主催の大会がある。
少年部で認可されて出られる数少ない大会だ。
うちは出稽古など行ける限り他道場へ出向いた。
仕上がりは、良くなったり悪くなったりと変化はある。
子供だからムラがあるのは仕方ないのだろう。
まだ私も指導者として子供たちをどこまで追い込めばいいのか手探り状態である。
実際のところ、これだけやれば大丈夫、ということなど稽古にはない。
いくら稽古を積んでも私は毎回不安だった。
やりきった感などまったくなかった。
これもやれば良かったとなぜか試合の稽古に対しては、いつも貪欲でいられた。
道場に来ないのに、よく頑張れるねと周りから言われた。
当時の私は飲食関係の仕事だったので、週1回道場に行ければいいほうだった。
稽古相手のいない私は、夜中に道場に来ては一人でサンドバックを叩きまくった。
稽古方法も知らない私は、有名選手の稽古法を参考に自分に合ってるのか合ってないのかわからないまま、ただ真似しながらガムシャラにやった。
そういうことでも自発的にやれるのは一人っ子だったことと、少年時代も野球の練習を一人でやっていたせいか、そんな孤独には慣れていた。
だから誰かがいないとやれないというのは全然なかった。
今の子たちはどうなのだろう?
ある道場では、激しく追い込んでるところもあるそうだ。
かなり厳しいとの噂だ。
それでもついていけるということは、試合の経験もあり、勝ち上がる難しさ、嬉しさを道場生も知っているのであろう。
うちにはまだそこまでの精神力と経験がない。
私の指導方針的にも強引な稽古はあまり好んでしない。
みな空手をやる目的は一緒ではない。
そこの個人の目的に出来るだけ寄り添いながら指導するのが、俺流です。
しかし大会や黒帯を目指すのであれば話は変わる。
申し訳ないが私が知っている限りの極真の厳しさは覚悟してもらいたい。
小美玉道場ではエセ空手家は作りたくないというのが私の考えだ。
黒帯は年数やったからとか記念やご褒美ではない。
これからも空手の修行を続けていきますという確約のための印や証だと私は思っている。
段が上がれば上がるほど、その約束は強固なものになる。
段は威張るための道具ではない。
修行を今も重ねていますという証だと思っている。
生物である以上、老いには勝てない。
しかしそれに抗うすべはどこかにはあるはずだと思っています。
それが自分の修行だと。
子供はまだ仕方ないとは思うが、一人でも稽古をするというぐらいにならないといけません。
それが自分にとってどれだけの価値があるかは大人になってからわかるはずだ。
そう黒帯になるということは一人前になるということなのです。
どのような先生方や達人でも稽古辞めれば、ただの人です。
そんなことを小美玉道場に通う子は理解してほしいと思います。
そう継続する力です。
私も今だ勉強中です。
これで終わりはないと思ってます。
みんなが上手になるには、自分がこれからも進化していくにはといつも試行錯誤しています。
きっかけは与えます。
それをどうするかは結局のところ自分次第なのです。
若者よ、時間を無駄に過ごすな。
遊びも大事だが遊びなどいつでも出来る。
そう、やることやって遊べばいいのだ。
早く覚醒せよ!