2023.05.17

極真空手は勝負偏重主義である

勝負においては親、兄弟と向かい合っても勝たなければならない。

試合というのは、勝つことにこそ意味があり、そのための日頃の稽古である。

だから、必ず勝たなくてはいけない。

大山総裁がよくおっしゃっていられた。(雑誌とかに書いてあった)

そうだから自分もかじりついてでも勝ちたかった。

勝負にとことんこだわって、そして懸命に稽古し、本番を迎える。

勝っても負けても必死にやってきたものしかわからない勝負の厳しさがそこにはあった。

そんな生き方が心地よかった。

 

しかし子供はどうだろうか?

そもそも空手をやっていること自体、自分の意思なのか?

ほぼ親御さんの思いからだろう。

お子さんに何かが足りないと入門してくることだと思う。

礼節であったり健康であったり、そして強さだったりと。

空手をやるのに今の時代、どんな理由であってもいいと思う。

昔は男だったら売られたケンカの一つや二つなどとも言われたし言ったか?

昭和はそんな時代だった。

今や強いだけではなんの意味もないし、人を殴ろうもんならすぐお縄だ。

ていうか口で言ってもすぐ問題になるご時世だ。

強ければいいという単純な時代ではない。

空手をやる意義も時代によって変わってきても仕方ないことだ。

 

前は若い20代から30代半ばぐらいの男子一般部ぐらいしか大きな大会はなかった。

今や色々な層で大会がある。

小学生から壮年部、女子まで。

極真もフルコン界も昔とはだいぶ変わった。

いやそれだけフルコンルールが認知されてきたのだろう。

私ぐらいの年齢でも平気で大会にどんどんチャレンジしている猛者がたくさんいる。

恐らく若い頃出来なかったことを、今青春を取り戻しているのだろう。

素晴らしいことだと思う。

 

だから子供たちにも大会や試合もできれば1度は経験してほしいとは思う。

しかしその一方、大会に出ればいい、誰でも出られるではない。

やはりしっかり稽古を積んで、自分の弱さに稽古の場で向き合ってほしい。

それにはまず道場稽古をすべて一生懸命やってこなせる体力をつける。

そうでなくては大会用の強化稽古など、ついてこれるはずもない。

これだけは断言できる。

本気を出す、必死になる。

これは本番になって出せばいいやと思っているかもしれないが、そんな急に本気が出せれば苦労しない。

試合をたくさん経験すれば、いずれ勝てるというのは大きな勘違いだ。

そこには血と汗と、そして弛まぬ努力をした者でしかわからないものが大会や試合にはある。

いずれにせよ本人次第である。

勝負偏重主義だが、特に子供のうちは勝ち負けだけではなく、うちは努力して汗を一番流し、自分に打ち勝つ稽古に励んだものに試合には出場してほしい。

いやそうでなければ資格がないとさえ思っている。

さあ後輩たちよ、早く覚醒せよ!

小美玉地区道場
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