2024.06.29

【不公平な力と努力2】

前回の続き。

正直この世界は努力だけではどうなるもんでもないことばかりだ。

私の経験上せいぜい三流の世界ぐらいは、なんとかなるかもしれないが。

そう努力だけではどうしようもないのが世の中だ。

なぜならみな平等ではないからだ。

親からもらったこの肉体とDNA、生まれた育った場所と環境、そして時代背景などは大なり小なりは関係してくるだろう。

 

前回で話したが正直生まれ育った環境は良くも悪くも、当時の私にはあまり関係なっかたと思う。

東京など人口も多くレベルの高い世界にいたとしても、自分がレベルが追いつけず、潰れるのが目に見える。

じゃあDNAはどうだ。

両親は運動神経は良かったと本人たちは自分のことを言っていた。

当時小学生の私もそう思っていた、いや信じ込まされてた。

しかし大人になり、ましてや空手の世界に30年もいれば、体の動かし方なども研究している。

こう見えて私は勉強家だ。

そして好奇心旺盛だ。

今だ色々な情報を見ては聞いては試している。

色々知ってくると、私の両親はたいしたことなかったと気づいてくる。

父は足は速かったが野球の技術はいまいちだ。

足が速いのを自慢にしていたが、ストレッチや身体操作などの技術も知らないため、40代になるとお約束のように毎年、肉離れをしていた。

外野を守り、足を自慢にしたスライディングキャッチをこよなく愛していた。

一見派手に見えるがなぜかわたしには無理やりスライディングキャッチをしてるようにしか見えなかった。

しょせん歳にはかなわんが口癖で、いつの間にか草野球もやらなくなった。

40歳になったら運動などもってのほかなんだと小学生の私は父を見て勝手に思っていた。

ちなみに俺は50代半ばでも組手を頑張っている(笑)

母はママさんバレーをやっていた。

パワーはあったがこれまた技術はいまいちだった。

身長も170㎝近くあり、横幅もあったためパワーだけでスパイクを強引にやっていた。

体がでかいだけで体の小さい他のママさんを圧倒していた。

小学生の私は母にビンタされて吹っ飛んだほどのバカ力だ。

母はソフトボールもやっていた。

バッティングを見ると、まるでセンスのかけらもなかった。

父は得意の野球を知ったかで、何度も教え込んでいたがとうとう解消することはなかった。

父の教え方が悪かったのか、母のセンスがなさすぎるのか、まあどちらでもいい。

私的には母もたいした運動神経ではなかったと分析する。(修正能力がないなど)

ちなみに関係ない話だが、当時新日本プロレスが流行っていた。

アンドレ・ザ・ジャイアントという一際バカでかい外国人レスラーがいたが、髪型といい風貌といい母にそっくりだった。

叱られると、大きい声では言えなかったが「アンドレ黙れ」と心でつぶやいていたものだ。

今でも同じヘアースタイルなので、よほどアンドレヘアーが好きなのであろう。

私自身、努力もけっこうしてきた。

家にはちょっとした広い庭があり、ここでティーバッティングをしたりノックされたりダッシュするぐらいのスペースは十分あった。

よく父にしごかれていた。

学校から帰ってきては素振りにランニングは毎日やった。

守備と足はけっこう向上したような感触はあった。

でも一向にバッティングだけはダメだった。

まるで料理でオムレツをいくら練習してもうまく作れないというダメな感覚と似ていた。

なんのこっちゃ(笑)

そう、簡単に言うと分野においてはセンスがまるでないということだ。

 

自分たち(両親)がこんなにも優れてるのだから、お前もいいはずだと思い込んでいたのが大きな間違えだったのだ。

そんな言い方されるのがたまらなく嫌だった。

小学生の時、マラソン大会で間違えて5位に入賞すると来年はさらに上位に行けるなと言われた。

単純な私もその気になって挑むと、結果は8位。

帰ってきて結果を報告すると両親に不機嫌な態度をあらわにされた。

その日外食に出かけたが、店先で説教され大好きなハンバーグが不味く感じた。

特に母は野球でヒット1本も打てないで帰ってくると、すごい態度を取られた。

その分ピッチャーで僕完封したんだと言っても、母の中ではどうしてもバッティングへのこだわりがあったようだ。

大袈裟だがあの母の鬼のような形相は今でも忘れない。

こんなことも私が野球嫌いになる要因のひとつだった。

欲張りな両親は色々な能力を私に求めた。

私は頭が悪いなりに自己分析をよくしていた。

走っては短距離タイプ。

野球は守備タイプ。

体育は球技タイプ。

クラスではリーダー気質だったが、クラス全体をまとめ上げるほどではないタイプ。

必ず学級委員の選抜で残っても頭いいやつに最後に負けてた。

どこぞの選挙と一緒でいまいち信用性がないのだろう。

 

父も母も言ってるほど私の能力を開花させるほどの指導力はないと感じていた。

だって息子一人のことも分かってないのだから。

おまえたちは俺のどこ見てたんだと、大人になった私は本人たちに言いたい(笑)

俺の能力をわかっちゃいない。

自分の運動神経のなさを両親のせいにしたいわけではない。

そして親の悪口を言いたいわけではない。

しかし両親ともさほどフィジカルが抜群ではなかっと今では推測する。

一部分が少し田舎ではたまたま長けていただけだったのだ。

 

しかしまた本題に入れなかった。

書いていると次から次へと両親ことを思い出してくる(笑)

断わっておくが両親を恨んでるわけではない。

客観的とその時に感じた気持ちを書いてるだけなのだ。

また続く・・・・・・

 

小美玉地区道場
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