2024.07.30
【給食とドッチボール】
俺は学校に何をしに行ってたんだ。
ふと道場生の子供たちを見て思った。
大人になり、たまたま子供たちに空手を通じて先生気取りをしているが、たまに考えさせられる。
思い通りにいかないと学校生活を引き合いにだして、もっともらしいことを言ってる自分を見ていると滑稽だ。
何様なのだと。
もっともらしいことを言っては大人、先生ぶっている自分が笑える。
俺は小学生の頃、どんなガキだったのだ?
ある映画を見たのをきっかけに、思い出した。
そうだ俺は給食とドッチボールが大好きだった。
そのためだけに学校に行ってたと言っても過言ではない。
まさに主人公の考えそのものだった。(給食だけね)
主人公(先生)が給食を楽しみにしてるのは、母親の料理が不味く給食が唯一の美味しい食事だったそうだ。
うちはそれほど不味いと感じた記憶はないが。
でもあまり母親の料理の良し悪しは正直思い出せない。
飲食店を営んでいた両親だから不味くはなかったとは思うのだが・・・・・・
あまりインパクトがないのが本音だ。
父親が作った焼きうどんは旨かった・・・・・・がそれだけしか思い出せん(笑)
そうだあの頃は給食が好きすぎて、給食を食べるためだけに学校の先生になろうかとも俺も一時期考えたほどだ。
勉強?なんだそれ?
学校なんてまさにそのためだけのための存在と俺はその頃、感じていた。
そうまさに給食とドッチボールさえあれば、俺は幸せだった。
朝が弱い私が早起きしてでも、授業の前に早く学校に行ってドッチボールをするほど好きだった。
もしドッチボールのプロがあったら、絶対目指していただろう。
私の学校でのルールは外野の真横から投げるのは禁止だった。(まあ自然と決まってた)
今のルールはよく分からんがチームプレイもキモのようだ。
一人が弾いても仲間がそれをキャッチすれば、アウトにならない。
私の学校のルールは個人プレイが多かった。
俺たち昭和のクソガキどもは、まさにタイマン勝負!
今は野球の球種のように、投げ方も変化球も多いのだろう。
私はさほど当時は投げ方ぐらいの変化しかなかったが、捌き技をもっとも得意技としていた。
どうしても狙われた時に内野と外野に連携されると追い込まれてしまう。
そこのせめぎ合いの連携をとぎらせるにはかわし技が必要だった。
そう必殺【まつげしき】
ある友達から伝授してもらった。
もう相手との距離がゼロぐらい目の前となった時に発動するのだ。
成功すれば自分も難を逃れ、そしてマイボールにもなる可能性が高まる必殺の技だ。
ぜひディフェンスで悩んでいるそこの君、この技を伝授してやるぞ!
最近の給食はどのような感じなのだろうか?
道場生の中学生にありきたりな疑問を聞いてみた。
お腹いっぱい食えてるのか?
給食の時間は何分ぐらいなのか?
残しても大丈夫なのか?
楽しく食べてるのか?
美味しいのか?
その子は母親の食事のほうが美味いと言っていた。
でも給食も美味しいと・・・・・・
しかし、楽しくはないと。
給食が楽しくない?
どういうことだ?
そうコロナの影響でおしゃべりは一切ダメらしい。
その子は今中学1年生。
小学2年生から今までそんな給食の食べ方だそうだ。
コロナ過の真っただ中なら分かるが、今がそれはいけない。
給食は給食センターのエライ栄養士様が生徒の栄養面を考えて献立を作っているそうだ。
予算内で作っていることや、人数の量の多さを考えても家庭より多少の見劣りは仕方ない。
じゃ給食の何が大好きだったって?
味や栄養や献立うんぬんも大事だが、でも本質はそんなことではないのだ。
仲間と友達と先生と食べる食事が楽しいのだ。
クラスのみんなと群れをなして、くだらない話をしながら腹を満たすのがいいのだ。
ここは学生時代ならではの大事なとこだ。
みんなと楽しく過ごした日々が良い思い出となって、大人になっていくのだ。
だから給食の時間は大事だ。
勉強より、給食は40分は時間をとって食事とともに会話を楽しむことだ。
食とはそれだけ大事なことではないのか。
生物は生きるためには食べなければならない。
しかし我々は獣ではない。
ただ食べればいいというわけではない。
そこには共に食するという人間ならではのコミュニケーションがある。
そこで生まれる楽しく食事をしたという感性は脳内を刺激し、また明日への活力になるに違いない。
行政も学校も父兄も考え直し、もしくは子供たちのためにより良い提案をしてほしい。
コロナで良かったことまで失ったままにしてはいけない。
こんな50過ぎのオヤジが今だそんな淡い何十年も前の昔の思い出を胸にいだいているのだから。
ちなみにみなさん、先割スプーンを覚えてるだろうか?
給食の時、よく使っていた万能スプーンを。
私はマイ先割れスプーンを持ってますフフ・・・・・・・