2022.12.31
イツキが12月27日の稽古納めを最後に退会することとなった。
本人は勉強に集中したいとのことだ。
中学も受験をするかもしれないと。
そこまでなると私には未知の世界だ。
それでは私には止められる理由はなくなってしまった。
理由は人それぞれだ。
他にもあるのだろう。
仕方のないことだ。
正直、イツキにはやめてほしくなかった。
理由は簡単だ。
小美玉道場創設からいる3人の中の一人だからだ。
ずっと淡々と3人でやってきたからだ。
ヒカル、遠藤さんが来るまではずっとユウマ、イツキ、レオの3人で頑張ってきた。
彼らも初めてやる空手で必死だったと思う。
俺も内心、必死だった。
そして俺だけで子供を指導できるのか、不安だった。
昔の水戸道場が頭によぎる。
道場に一人も来てない時を思い出す。
あの頃は師範や先輩後輩もいたので、気が楽だった。
心のどこかでは他人ごとだったのだろう。
でもここではもう誰も助けてくれない。
俺がすべてなのだ。
半年たっても人が増えなかった。
一人二人は入るのだが、すぐにやめてしまう。
ひょっとしてこのままなのか?
そんな不安もよぎった。
中学生になったら、どうせ残りのみんなも辞めるんだろ?
まあそれも仕方ない。
ゼロになったらやめるか。
恥ずかしいから、そうなったら桝田道場も辞めて、一人で稽古を追及するか、とか。
そんなある日、水戸道場の話をある人から聞いた。
あの頃は少なくても、それなりに良かったと・・・・・
自分、その頃の雰囲気が好きでしたと。
そんな風にアイツ思ってたんだ。
そんな思いを聞いて、なぜかイツキに重ねている自分がいた。
よほどリーダーにカリスマがあったりワンマンでない限り、人が増えたりすれば雰囲気も変わるだろう。
仕方のないことだ。
人それぞれの好みもあるからだ。
私はあまり強引に人に指示するのは好きではない。
しょせん自分で決めなければ責任が発生しないからだ。
人が多いのは力だとか、大会の実績がない道場はダメだとか、そんなことをよく耳にする。
否定はしないし、確かにそうかもしれない。
でも自分は時代もあると思ってる。
昭和の時代に揺るぎなかったものが、今は平気で無くなっている。
無くさないためにはどうするか。
それも大事なことだとは思うが、私は無くなってもいいとさえも思うことがある。
なくなったら、また作り直せばいいんではないかと。
なんか文明てそうやって今があるんじゃないだろうか。
まあこの時代、逆に勢力を拡大しているところもある。
それはそれで素晴らしいことだ。
だから俺が言ってることは言い訳や妬みにしか聞こえないかもしれないが。
今は小美玉道場に14人も集まってくれた。
当初からしたらありがたいことだ。
人も増えれば昔の頃のようにはいかない。
当然、道場の雰囲気も変化しだした。
そんな渦に人は巻き込まれたり巻き込んだり。
集団に翻弄されてしまう。
人が集まれば社会とはそんなものなのだろう。
自分も人数や人のレベル、質によって変化している。
いや変化せざるおえない。
そうなってくると当初の慣れ親しんだ道場生も逆に戸惑ってきていた。
人が増え褒めてくれる方もいる。
だが正直あまりうれしくないのが本音だ。
人数や強さよりしっかりとした空手を教えたい。
むしろしっかりとした空手だねと言われたい。
まあ空手にも色々あるが・・・・・・・
要は俺の考える空手とは、空手を通じて自分の人生に何かしら反映していけるかということだ。
強さとは色々あると思う。
自分も大会で優勝できたという経験をさせてもらった。
でもだからなんだ。
そんなこと自慢にもなりゃしない。
大会や試合なんてその日、一日限りの話だ。
明日やったらコロッと同じ相手に負けるかもしれない。
空手などただ強いだけではなんの意味もない。
空手が強くても社会で病んだり傷ついてる人もいる。
自分に、そして社会や人に役に立たなければ意味がないのでは。
逆に勉強や頭が良くても使えないやつもこのご時世大勢いるのも確かだ。
結局俺も水戸道場の昔を語っていたやつと同じ考えらしい。
大勢の人の中にはあまり合わないのだろう。
昔からそうだな、上の人にはいつの年代でも俺は嫌われていた。
まともなことを言われるのを上の方は嫌らしい(笑)
まあ、どちらがまともかはよくわからんが・・・・・・
私が教える空手は弱者のための空手だと思っている。
強いやつなど空手をやらなくても強いのだ。(強いだけの奴は礼節や心を学んでみては)
だから弱いやつほど空手(武道)や武術を学んでほしい。
そしてそこから強さも大事だが技術や考え方、経験や体の使い方を学んでみてはと思う。
弱いから負けるのではない。
自分を知らないから負けるのだ。
自分が分からないから、相手も理解できない。
ただ結果としての話だ。
試合での勝ち負け、そうゲームでの他人と争っての勝ち負けなどどうでもいいのだ。
いかにその経験を学び、まず自分を知ることがもっとも大事なことなのではないだろうか。
栄光など一瞬だ。
私の周りにも過去の栄光や地位にとらわれてるバカはたくさんいる。
私の考える栄光とはまさに今の生き方ではないだろうか?
金をもってるとか地位があるからということで、私は人を判断しない。
私は今、頑張っている奴に敬意を表します。
イツキには本当に感謝している。
よく2年間頑張ってくれていた。
ゆっくりでいいから続けてほしかった。
リーダーに推薦したが、なかなか大変そうだったみたいだ。
頭はいいが、運動は不器用な感じだった。
しかしマジメな性格のため技は丁寧だった。
道場訓を覚えたのもすぐだった。
組手は苦手なのは分かっていた。
臆病なのも知っていた。
しかし怖いながらも創意工夫で、組手を展開しているのが非常に良かった。
だからあえてやらせていたのだ。
自分では成長を感じ取れていないようだったみたいだ。
彼は自分のことを唯一知っている子だった。
大人でさえ自分のことが分かってない奴が多いのに。
おまえが最後、道場訓をやると言ってくれた時、正直涙をこらえたよ。
まともにイツキの顔を見れなかった。
出来れば小学校卒業まで、頑張って欲しかった。
もっとよくを言えば黒帯まで・・・・・
でも彼が選んだ道なのだ。
イツキも別の世界で挑戦を続けるのだろう。
俺も俺の世界で頑張る。
老体にムチ打って。
もしやり残してしまったと感じた時、また戻ってこい。
そしてまた空手をやろう。
いつかまたここで・・・・・・・・・・

イツキ、2年間ありがとうな。
俺もおまえに支えてもらってたよ。
神田家の皆様もご支援、感謝申し上げます。
不甲斐ない指導者でしたが、イツキとは常に全力で真剣に向き合ってまいりました。
私自身も勉強になり、良い経験をさせてもらいました。
私も今後のイツキの成長を楽しみしています。
ありがとうございました。