2022.10.26

ウクライナから日本に来た避難民が2000人を超えたらしい。

ていうかそんなもんしか来れないんだ。

調べてみるとウクライナから日本まで約9000キロ、飛行機で16時間かかるらしい。

そう考えるとあの状況からして、難しいかぁ。

ある小学校に入った姉弟は、不安と言葉の壁に悩んでいたようだ。

それは当然だろう。

知らない国に来て、その外人は別の言葉を話してる。

故郷を失い、右も左も分からぬ場所で未来も予測できない状況の中にいるのだから。

 

言葉の違いと言えば、水戸道場に鬼澤というろう者の道場生を真っ先に思い出す。

言葉ではないが鬼澤は生まれた時から耳がほぼ聞こえないため、指文字や手話で対応していた。

そんな鬼澤は出戻りだった。

10代の時に彼は入門してきた。

その頃、私は現役バリバリだったため、あまり後輩の面倒など見る余裕がなかった。

そのうち、ふと彼は辞めたとある後輩から聞いた。

出入りが多かった時期だ。

弱いものは自然に辞めていく・・・・・

そんな強者しか生き残れないというのがあたりまえな風潮がまだ残っていた時代だった。

だからその時は、辞めた理由など気にも留めなかった。

あくる日、ふと鬼澤の辞めた理由を先輩から聞いた。

アイツ、健常者の中にいるのが辛かったらしいと・・・・・・

そういえばと思い出した。

私が現役当時は大会が終わってすぐ打ち上げをしていた。

私も何度か幸運にも優勝を経験させてもらえた。

その時の酒と言ったら格別だ。

自分の成績に酔いしれて、少し飲み疲れて回りをふと見まわした時、鬼澤は誰とも溶け込んでおらず一人きりで時間を持て余していたような光景を目にした。

そうだよな、アイツ耳聞こえないもんな。

その頃の私は手話などはおろか指文字すら覚える気はなく、後輩を呼び出しては相手してやれよと命令するだけで自分で相手してやろうとは思わなかった。

そんな彼が10年ぐらいたった今、戻ってきたときは、そんなことでまたツライ思いはさせてはいけないと、反省の意味も込めて積極的に鬼澤から手話を学ぼうと色々と会話(手話)した。

正直言うと、その時期の道場はかなり人が少ないのもあり私は意気消沈しながら、ただもがいている状態だった。

そういう最中だったからこそ貴重な道場生のありがたみを感じた。

幸いその時の道場生はみな優しいヤツばかりだった。

だからみんなで手話を覚え、鬼澤を支えた。

覚えの悪い私も日常的なら、多少の指摘を受けながらも手話が出来るようになってきた。

恐れ多くも一時期は手話の資格を取ろうかと考えもしたほどだ(笑)

 

だからウクライナと日本の子供たちも言葉の壁を乗り越え尊重し、お互いの国の文化を知るいい機会だ。

存分にコミュニケーションをとって、友人関係を築いてほしい。

いつの日かウクライナを案内してもらえる日が逆にくるかもしれない。

今は鬼澤は家庭の事情でまた退会してしまったが、彼のおかげでろう文化を学べたように。

人の縁とは不思議なものだ。

この俺が手話をやるなど夢にも思わなかった。

最近また手話の本を手に取っていた・・・・・・・・

 

さて稽古です。

小美玉地区道場
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初めての太極その1。

小美玉地区道場
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平安その1。

小美玉地区道場
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恒例の俺対決 VSイツキ。

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恒例の俺対決 VSヒカル。

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恒例の俺対決 VS遠藤さん。

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恒例の俺対決 VSナギサ。

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恒例の俺対決 VSツカサ。

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恒例の俺対決 VSコウセイ。

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道場訓、ナギサようやくクリアしました~拍手~

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今日は珍しく鈴木兄弟はお休みでした。

ヒカル、ナギサ、ツカサの三人が出席していたので、10月2日の昇級審査での合格した帯を渡しました。

ヒカルは6級黄帯、ナギサ、ツカサは8級の青帯です。

ヒカルは飛び級で上がったので、良い評価をいただき嬉しい限りです。

さてナギサ、ツカサは少しらしくなるかな?

暴れん坊どもが・・・・・・・(笑)

次回はレオとソラとみんなで写真撮影したいと思います。

また、新しい仲間も来月から正式に3人入るので賑やかになります。

次回のブログで紹介します。

 

小美玉地区道場
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