2023.01.18

大勢の前で何かを表現したり話したりスポーツの試合など、そんな大一番な場面を多かれ少なかれ、みな経験しているはずだ。

そんな時、練習通りに自分の思った通りにパフォーマンスを発揮できるだろうか?

大勢の人前で挨拶したり何かを説明したり、大事な勝負の場で緊張して行動が焦ってしまわないか?

そんな不安にかられたことはないですか?

私は正直、緊張するタイプだ。

そしてそういう場があまり得意ではない。

なにかとメンタルが弱かった。

 

子供の頃からそうだった。

野球をやっていても、打てばヒーロー、打てなきゃ負けというシーンに何度かぶつかった。

結果は最後のバッターとしてゲームセットしてしまうというお約束が記憶に残っている。

しかも見逃し三振という野球にとって消極的で最悪な終わり方だ。

当時(小学5,6年生)の私は自信をもってアウトローを見送っていたのは確かだった。

しかし非常にも審判のコールはストライクだった。

ツーストライクと追い込まれたら、くさい球は打つ、又はカットするのが定石なのだが・・・・・・

 

野球バカの父親には積極性が足りないとか気が弱いからとか、いつも言われていた。

当時の私を見て、父は幻滅していたのであろう。

当時そんな精神論でしかアドバイスをしてくれない父には、私は子供ながら少しうんざりしていた。

なぜ練習の時は打てるのに、本番では打てないのか?

本当に父親が言っている通りなのか?

もっとこうしたらうまくなれるという明確な答えが欲しかった。

そんなことを思いながら野球をやっていた。

高校1年の夏に監督とのトラブルがあり、父に無理くりやらされていたこともあり、8年近くやっていた野球をあっさりと辞めた。

結局、何かダメなのか分からずに逃げ出したのだ。

 

それから10年後、空手を始めた。

何かに取りつかれたように空手にのめり込んだ。

学生の頃の野球の中途半端を埋めるかのように・・・・・・・

試合で結果を出したい私は、オファーのかかった大会はすべて出た。

正直25歳からの選手など、当時では遅いほうだ。

ライバルはみな私より5歳ぐらい若い。

当時は大学生が上位を独占していた。

マンネリ一回戦負けの私は、いつの間にか打倒大学生になっていた。

とにかく一回勝ちたい、ただそれだけを求めた。

稽古も狂ったように毎日やった。

飲食業で働いていた私は、週一の休みしか稽古に行けないため、師範に頼み込んで夜中の12:00に道場使用の許可を得て稽古した。

相手がいないのでアルバイトの子を呼んで、ビックミットをひたすら打ちまくった。

自分には何が足りないのか?どんな稽古をすればいいのか?

そんなことなど当然わからず、ただ先輩やビデオを見て真似ていた。

大会が終わると、ビデオが届く。

自分の姿を見ると愕然とした。

これが俺の姿か?

ただなりふり構わずの組手だった。

まあそんなこと今思えば当たり前だ。

ただ気合と根性だけでやっていたからだ。

そこに緊張や怖さ、焦りなどでメンタルの弱い悪いクセも出ていた。

自分ではもっとカッコよく組手をしていると思っていた。

しかし手も足もちぐはぐで組手どころの話ではなかった。

この世界もやはりダメなのか・・・・・・・・

そんなことが脳裏によぎった。

また何も分からず終わることだけが怖かった。

 

数年後、県大会で優勝者1名が世界大会出場権が得られるという話が来た。

私は30歳だった。

最後のチャンスだと思った。

ここでダメなら空手を辞めるという気持ちで大会に臨んだ。

ここでのテーマはけっして慌てない。

まさに基本の受けて返すということを私の課題とした。

そして今大会の準決勝の古舘先輩との試合で、私の試合や組手に対する考え方、スタイルが見えてきた一戦となる。

当時は話したことなどなかった先輩だったが、常に上位入賞していたのは知っていた。

トーナメント表を見て、最初の私の山場になると踏んでいた。

ここで負けたら終わりだという妙な緊張感が私を包んだ。

やはり予想通り再延長ともつれ込んだ。

一進一退だった。

さすがに再延長では体格差が出たのか、何度か先輩を場外に押し出した。

これがおそらく決めてとなり、勝利を収めることができた。

数年後、今度は古舘先輩の息子と戦う時がくる・・・・・・

 

しかしこの古舘戦では勝利以上のものを私は得た。

決して熱くならず、相手の全体を見て冷静に戦う。

緊張感はあったが、なぜか以前のような周りが見えないようなことはなかった。

セコンドの声や相手側の指示も聞こえていた。

そう緊張を味方につけるということを学んだのではないだろうか。

この大会で過去の私の出来事が克服とはいわないが解消された気がした。

正解かどうかわからないが、何かを感じ取れた一戦だった。

それからは先輩とは戦友として仲間として、今も懇意にしてもらっている。

 

当時は今と違い情報が少なく、私の周りでは教えてもらえなかった。 

いや私も自分で考えだす能力もなかった。

しかし今は経験が積み重なった。

フィジカルが多少劣っても、戦略やメンタルの持ち方、それを組み合わせ次第でどう稽古すれば少しでも勝利に近づけられるのかということを学んだ。

空手で得られた経験だった。 

父に言われ、いやいややっていた野球だったが、良くも悪くもこういう考えやここまでこれたのも父と野球のおかげなのでしょう。

今は野球をやっていて良かったと素直に思える・・・・・・

今だ本番ごとは緊張する。

しかし、その本番に対して最大限の準備をし、最大限に努力をするということを学んだ。

 

さて稽古です。

小美玉地区道場
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