2024.08.21
【力なき正義は無力である 正義なき力は暴力である】
大山総裁はよくこうおっしゃっていた。
「力なき正義は無効であり、正義なき力は暴圧である」は、フランスの哲学者であるブレーズ・パスカル(1623-1662)の名言です。
多少言葉は違うが、この言葉はパスカルの名言を総裁が引用したものなのだろう。
大人になり歳を重ねるたびにその言葉の意味がよく理解できるし、心に響いてくる。
というか納得できる。
この世の中は上に媚びる者と媚びずに自分の意志や正義を貫くものと2種類の人間がいる。
私は社会に出て若い頃からいくつになっても上に逆らいまくっていた。
いやどうしても納得できなかったのだ。
特にその場所で権力を持っている奴ばかりにだ。
俺が若いからといって、大人の身勝手な正論で丸め込もうとしていたのが見え見えだった。
育ちが悪いせいか、なぜか理不尽なことや自分が納得できないことに対して自然と逆らってしまっていた。
なんで他のみんなは陰で文句を言いながら黙ってやってるんだろうと不思議にさえ思った。
笹沼さんだから言えるんだとよく言われた。
そんなことはない。
特別なにかの力があったわけでもない。
ただ自分の信念が許せなかっただけだ。
何の後ろ盾なく、無鉄砲に自分のおもむくままに前に出た。
あったのは正義感だけだ。
年上だから上司だから何なのだという思いが強かった。
自分は間違ってない。
そんな若気の至りな勢いだった。
まるでB29に竹やり一本で突っ込むようなものだ。
でもそんな私を理解してくれた先輩や仲間も少数だがいた。
しかし最後は踵を返す者がほとんどだった。
今付き合いのあるやつなどほとんどいない。
それは仕方のないことだと悟った。
一番の理解者だった親友も一足先にあの世に逝ってしまった。
そんな時学んだことは金や権威を持たぬ者は、いくら正論を唱えてもそれだけでは人ついてこないし、悪しき者(ここではパワハラ的な権力者)には勝てないし、人も守れないということだ。
自分がやりたいことや意見を通したいのであればを力を持たないと何も出来ない!
正義感だけや正論だけではどうしようもないということだ。
そんな正義感があるなら、まずは力を持つことを優先すべきなのだ。
でそんな力とは一体なんなのだ。
やはり金や地位、そして権威性だろう。
これに媚びる人がほとんどだ。
私も50年も生きてると、私の目の前ではカッコイイことを言っても、最後は芋を引く人間ばかりがほとんどだ。
そんな人間たちとの関りが多いの見てばかりいると、肩書だけではビクともしない習性がついてしまった。
片田舎に長く居るせいか、肩書は立派だがそれほどの本物はほぼ見たことがない。
ほとんどの人が名前(肩書)に負けしてしまっているように思えてならない。
若干のギャップは仕方ないが・・・・・・・・
だから私は背伸びはしないし、カッコもつけない。
ていうかつけられないと言ったほうが正解か(笑)
間違えれば謝るが、そちらの落ち度も訂正しろよ。
てな感じだった。
人間は力を持つと横暴になる。
今流行りの韓琉ドラマもその手の内容が多い。
お金を持った瞬間。
役職についた瞬間。
体を鍛えて力を持った瞬間。
力を持つことは大事なことだ。
しかし力の使い方を間違った人を見ると残念でならない。
力を誇示して優越感を味わっている本人は周りがしらけているのが分からない。
まさにこれこそ【正義なき力は暴力】だ。
私は【力なき正義は無力】で今まで過ごしてきてしまった。
いつもそんな力に負けて折れることが幾度となくあった。
そして何をやっても負けてばかりの人生だった(笑)
でも負けたらまた戦う。
また這いあげればいい。
死なない限り、何度でも立つ。
正義なき力を振りかざす奴などには媚びたくない。
曲がったこと、筋が通らないことは納得できない。
人を裏切るなら、裏切られた方がましだ。
正義なき力を使う人とは戦う。
いや戦ってしまう性分だ!
こんな感じの不器用な生き方しか出来ないが、粋な大人であり続けたい。
金、地位、権威。
全部、もしくはこの三つのどれかを掴んだら上手く使いこなし部下を導いてやる、そんな上に立つ人間が大事なのだ。
俺にはどの武器もないが、あと残りの人生はそんな無駄な時間を過ごしたバカな経験をも空手を通して後輩たちに伝えたい。
そして人を正しい方向へ導く人間になってほしいと願う。